【連載】本場な人びと◎加藤ジャンプ――第17回/日韓料理のフュージョンは「幸せの味」です

第17回 日韓料理のフュージョンは「幸せの味」です

 万博が閉幕した。私の周囲には行った人がいないのでどんな塩梅だったのかわからない。ただ万博はあったけれど、海外から来た人にたいして連帯とか融和のムードが全体的に広がったような様子は感じられない。
「ぜんぶのいのちと、ワクワクする未来へ。」
というのが、今回の万博のスローガン(タグラインと呼ぶそうだ)だったらしい。毎日、しっかりご飯をパクパク食べて、ようやくワクワクすることも可能になると思うのだが、世の中あいかわらずビシビシと物価高である。さらに新しい内閣が生まれて、ちょっとソワソワしてきた。そしてハラハラしている。そうして、55年前の万博のテーマ「人類の進歩と調和」ってなんだったんだろうか、とあらためて考えてクラクラする自分がいる。そんななか、この国ではかわらず、特定の国籍、宗教をめぐってネットもリアルも流言蜚語の嵐が吹き荒れている。
 だがメゲてはいられない。私は勝手にズンズン国際交流する。

 地下鉄の白金台駅に降りる。目黒通りをちょっとだけ歩いてすぐに路地に入る。立派な塀がつづく。お寺の塀なのは知っているのだけれど一度もお詣りしたことがない。申し訳ないので、いつも、このあたりを歩くとき、塀の外側からちょっと会釈する。今回訪れるお店へ向かう道すがらも帽子のツバを右手でつまんで軽く一礼していたら、角から現れたご婦人に凝視されてしまった。なにかワケアリの人に思われたのだろうか。人畜無害おじさんの自信はにわかにゆらいだ。

 このあたりは江戸時代には鍋島家だとか大名屋敷がいっぱいあったところだ。いまは立派な邸宅や集合住宅が集まっている。大都会なのに静かだし、緑も多くて、東京の中心にしては、建物の間のスキマもちゃんとあって清々しい雰囲気で気分がいい。こういうところに暮らすと現代でも大名みたいな心もちになっちゃったりするのだろうかと考えたりしながら歩く。途中、馬の刺繍の入ったポロシャツを着た犬とすれちがったり、本物のスーパーカーから降りてくる短パンのおじさんなんかを目撃したりしているうちに、ほどなくして、その店に到着する。仕舞屋っぽい一軒家を今ふうに粋に黒く塗り替えた建物には、表札がさがっている。

『しいる』

と、だけある。なんというか、都会のちゃんとしたお店の佇まいである。

このコース、最初から「旨い!」

「いらっしゃいまし」
 いきなり流暢な日本語だと思ったら女将さんの森瑛里さんだった。そしてカウンターからも
「いらっしゃいまし」
 こちらも流暢な日本語で、見ると大将のジョン・シイルさんだった。漢字では丁柿日さん。私は、シイルさんと呼んでいる。瑛里さんとシイルさんは夫婦で、二人でこの店を営んでいる。

 まだ開店してから半年もたっていないが、良い店だと口コミがじわじわと広がっている。韓国料理と日本料理のフュージョンを食べさせてくれる。コースでいただくが、これが最初からものすごく旨い。

 カウンターに陣取って、シイルさんが料理するのを見ながらいただく。これは日本の割烹そのものだ。聞けば、シイルさんは日本の名店で修業したことがあって、こういうカウンター割烹スタイルにしたいと昔から考えていたのだそうだ。

〈コースの序盤に出てくる九節板[クジョルパン]に、まずガーンと心奪われてしまった。これは一皿に九つの料理をのせた韓国の盛り込み料理である。和食なら八寸の感覚に近い。元は韓国の宮廷料理で、おめでたいことがあったときの祝い膳である。お祝いの膳だから選りすぐりの、体によいものばかりを集めて盛る。これをシイルさんは、日本の材料と調理法をふんだんに取り入れて仕上げる。たとえば万願寺唐辛子のナムルなんて、和食のしっとりとした出汁の味わいと韓国料理のきりっとした後味とが一緒に楽しめる。和牛をピカタのように料理した一品は、肉の歯触りの良さとコク深さをしっかりと引き出しつつ、ピカタらしくほんのりと甘みを感じさせて、キロ単位で食べたいくらい旨い。これらを超薄焼きクレープのような皮に包んで食べると、味わいが凝縮されるうえに、粉物の旨さと充実感も加わりさらに旨い……〉

いろいろ盛ってある九節板[クジョルパン]。韓国の宮廷料理の祝い膳


 韓国の、どぶろくに似た酒、マッコリをいただきながら、次々と旨い料理を食べるのは最高に楽しい。しかもシイルさんは日本語でちょいちょい冗談をとばすから(時々、強烈なのもあって私はそれが大好きである)、笑いのたえない食事になる。100の国際交流イベントより一回の『しいる』の食事のほうが、日韓のつながりは強くなるんではないかなあ、なんて、すこし酔いのまわった頭で考えはじめる。 

料理修業、日本語学習、そして兵役

 私が、文化放送『全国歌謡ベストテン』で流れたチョー・ヨンピルの歌で、はじめて釜山という土地の名前を知った1983年から4年後、1987年にシイルさんは釜山で双子の兄として生まれた。以来釜山で育った釜山っ子である。中学3年の時、この先の進路として料理人の道を選んだ。しかもいつかは和食の道へ進もうと、もうその時には決めていたという。

「日本の漫画『将太の寿司』(寺沢大介・作)の大ファンだったんです」
――お寿司の道に進もうとは思わなかったんですか?
「まずは日本料理を広く知って腕を磨きたかったんです。タイミングのいいことに、ちょうどその頃、釜山調理高校という学校が開校したんですよね。中華や西洋料理も学べて実習もあって資格もとれる学校なんですが、そこに進学しました」
――そこで料理の基本を身につけたら日本で修業するプランだったのだろうと思うのですが、日本語はいつ勉強したんですか?
「父から高校3年のうちに日本語一級をとったら日本への留学費用を出すよと言われてたんですが、実際、高校のうちに一級は取得しました。でも、留学費用は結局出してもらえなかったんですが(笑)」

 こうして料理人への道に入ったシイルさんは、シイルさん以外、同級生のほぼ全員が大学へ進学するなか、しばらく釜山の料理店で働いた後、料理人修業はペンディングとなった。兵役である。

〈日本の韓国料理店でよく目にする「チョレギサラダ」。コースの終盤、そんなサラダの雰囲気が漂うルッコラが山盛りになった小丼が運ばれてきた。これはやはりサラダだなあ、と思って食べていると、ちらりと顔を出すものがある。鰻の白焼きではないか。ふんわりとして焼き目は香ばしく、じわりと小脂がのっている。こんなに爽やかに鰻を仕立てた一品にはそうそうお目にかかれない。しかもルッコラとの相性がよい。和食の白焼きにチョレギサラダの融合、ああ、こういうのをフュージョンとかイノベーティブというのだなあ、と感心してしまった……〉

ルッコラが山盛りになった『しいる』のチョレギサラダ。鰻の白焼きが入っていて、その相性は抜群である

 兵役に就き料理人修業を休んでいた間に、シイルさんはもちろん世界中の人々に衝撃をあたえた出来事があった。リーマンショックである。2年ほど軍隊で過ごしたシイルさん、ようやく料理人の道にもどったが、どこもかしこも不景気の嵐にさらされ、兵役前とはまったく違った、厳しい経済状況が待っていた。

「早く日本で料理人修業をしたかったんですが、とりあえずお金をためないといけないので、まずは韓国料理の店に勤めました。で、2010年に来日したんです」

 ところが、最初は和食店での働き口が全然見つからなかった。日本の韓国料理店に勤めながらチャンスをうかがっていたが、来日から一年ほどたった頃、日本料理ではつとに知られた名店に雇ってほしいとアタックしたところ、見事に採用された。
 料理人の世界というと、私のなかではいまだに厳しい上下関係のイメージがあるが、その店では、

「みんな優しくしてくれました。料理人の世界ならではの言葉も教えてくれたり、親切にしてもらえました」

 その頃、シイルさんは運命的な出会いを果たした。SNSで修業の苦労なんかをマメにつづっていたところ、結構な数の読者がついたのだが、そのなかに一人の女性がいた。当時まだ大学生だったその人とはネット上でのやり取りで意気投合し、ついに、実際に会うことになった。

「初めて僕を見たとき、なぜだか韓国じゃない別の国の人だと思ったらしいです(笑)」

 そこで出会った大学生が今の妻で女将さんの森瑛里さんだった。23歳で結婚すると、二人で日本で暮らしはじめる。生活を軌道にのせるために、シイルさんは、和食店から今度はモツ焼きの店に入った。何店舗かあった店のうち、傾いている店を立て直すなど大活躍するうちに、

「社員になってほしいという話になって、いやいや、私、和食の道に進みますので、とやめました」

 もつ焼き店を惜しまれながら辞めたシイルさん、今度は浅草の店で再び和食の修業を再開した。そこで2年ほどみっちり修業した後、釜山へもどった。

ああ、もう……の境地

〈コースのうちの一品、コングクスは韓国の麺料理だ。『しいる』では、濃厚な大豆のスープに、シイルさん特製の素麺でいただく。定番料理だけれど、シイルさんのそれはいささか異次元の仕上がりだ。目の前で、トリュフをすってトッピングするのだけれど、これが、吹雪のように降りつもっていくのである。トリュフの線状降水帯が突然、鉢の上に襲来するという様相なのである。見ているだけで、ああ、もう、という気持ちになって、出されたそれは山盛りのトリュフしか見えず、コングクスかどうかもわからない。分け入っていって、トリュフと豆のコクの塊のようなスープにからめて麺をたぐる。この一品は、コングクスと書いて「しあわせ」と読むのだと思った……〉

韓国の麺料理コングクス。トリュフが降りつもっていて、異次元の仕上がり。「ああ、もう……」

 釜山へもどり、はじめは居酒屋を営んだ。客単価はお手頃に設定して、これまで身につけた技を駆使して創作料理を作りまくると大評判になり、一日150人からの客が来る大繁盛店になった(飲兵衛としては、その店にも大いに行ってみたかった)。
 居酒屋経営で資金をためたシイルさん、むかえた2018年、同じ釜山で、ようやく念願の韓国料理と日本料理のフュージョンを出す割烹スタイルの店を出した。評判の店になったが、途中コロナ禍があったり紆余曲折しつつ、そこで手ごたえをつかんだシイルさん夫婦は、今年、満を持して白金台に『しいる』を開業した。

「美味しいものが集まる東京でちゃんと和食と韓食のフュージョンの店をやる。それがようやく実現したんですよね。次は、みなさんにリピートしていただける店になること。がんばります」

 いや、もうじゅうぶん頑張ってますよ、と思いつつ頷いた。この世の中、国籍やら宗教の違いを理由に壁をたてたがる人が後をたたないけれど、わからない相手、知らない相手のことを理解するには、その人が食べているものを食べるのが、やっぱりいちばん手っ取り早いのではないか、なんて考えていると、

「自家製の羊羹です」

と、シイルさんが最高の笑顔で美しい和菓子をのせた小さな皿をさしだした。傍では、女将さんが抹茶をたててくれている。
 こういうの、いいなあ。
 ここへ来れば、どこの万博よりも、万博の精神を味わえる……国籍なんてなんのその、縦横無尽に料理するシイルさんのデザートを食べながらしみじみ思った。

タイトル、本文内イラスト=筆者

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 東京都世田谷区出身。横浜&東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。一橋大学大学院修士課程修了。1997年新潮社入社。その後フリーランスのライターに。テレビ東京系「二軒目どうする?〜ツマミのハナシ〜」に準レギュラー出演中。著作に『コの字酒場はワンダーランド ――呑めば極楽 語れば天国』『コの字酒場案内』(ともに六耀社)、漫画『今夜はコの字で』(原作担当、土山しげる作画、集英社インターナショナル 、集英社)、『小辞譚』(オムニバスのうち1作品、猿江商會)など。最新刊に『ロビンソン酒場漂流記』(新潮新書)。

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